突き上げ屋根の養蚕型農家が数多く残る上条集落
上条とは、山梨県甲州市塩山市街から青梅街道(国道411号線)を大菩薩峠・奥多摩方面へと5キロほど行ったところから、さらに北側の山手に1.5キロほど入ったところにある集落です。今では果樹栽培が主ですが、かつては甲州の田舎の例にもれず養蚕がさかんで、家の2階で養蚕作業をする際の採光と通風のために、「突き上げ式屋根」をもった民家が多く建てられました。この地では年間を通じて強い風があまり吹かないため、このような屋根の形が可能になったようです。
これだけ多くの民家が密集して残っている上条集落の存在は、農水省外郭団体「財団法人 都市農山漁村交流活性化機構」が2001年から2002年にかけて行った「茅葺き民家100選の選定調査」の際に「NPO法人山梨家並保存会」がその存在を伝えたことから、はじめて全国的にクロースアップされました。
その後、NPO法人山梨家並保存会は、この貴重な古民家群が残る上条集落を「重要伝統的建造物群保存地区」にするべく、関連団体に視察をよびかけました。財団法人ナショナルトラスト、NPO法人日本民家再生協会などの視察が相次ぎ、甲州市役所も指定に向けて本腰を入れ、2015年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されるところとなりました。
「ふくすけ型」の突き上げ屋根が生まれた経緯
上条集落の家の屋根は、よくみると一棟一棟少しづつ違うのですが、地域の特徴がよく現れている例として、「もしもしの家」を見てみましょう。中央の部分が突き上がっているのがよくわかります。
中央に突き上げている屋根を顔に見立てると、カミシモを来た福助のように見えるので、この突き上げ式屋根をもつ民家に親しみをこめて「ふくすけ型民家」と呼んでいます。
養蚕の開始とともに、小屋裏に天井が張られ、小屋裏の空間は産室と使われるようになりました。その後、さらに産室を広げ、養蚕に必要な風や光を取り入れるために甲州人が工夫したのが、この「福助型」。風が少なく穏やかな気候風土のため、切妻屋根でありながら風にあおられる心配がないことから、実現しました。
集落の中心に茅葺きの観音堂
扇のような形をした上条集落の要の位置には、18世紀末ころの建築と推定される観音堂があります。集会場を兼ねている
ため、間口四間、奥行き三間半と広く造られています
NPO法人山梨家並保存会では、観音堂の屋根を元の茅葺きに葺き直し、土壁を塗り直す工事を2009年に行いました。土壁塗りは、竹割、小舞かき、土練り、荒壁塗りの工程をワークショップ形式で行い、山梨大学の学生なども含め、多くの参加者がありました。結果的に、外からの人間が上条集落の魅力を住人に伝えるきっかけともなったのです。
1月には立派な「オコヤ」が見られます
新年の旧正月におこなわれる道祖神まつりでは、道祖神に「オコヤ」と呼ばれる仮小屋をつくる伝統行事があります。「オコヤ」づくりの風習は他集落にもみられますが、上条集落の「オコヤ」は、とりわけ立派だということで、有名です。
上条集落の「オコヤ」づくりは、朝8時から午後3時まで丸一日かけて、神社の本殿のような立派なものをつくります。ここまで手が込んだ「オコヤ」は、ほかにはありません。 例年1月7日のオコヤがけから14日の夕方のどんど焼きの前までの間、オコヤを見ることができるので、重要伝統的建造物群保存地区になった今は、甲州市主宰の見学会が行われ、多くの観光客が他地域から見学に訪れます。
2001-2年 | 農水省外郭団体「財団法人 都市農山漁村交流活性化機構」による茅葺き民家100選の選定調査で、上条に東山梨独自の突き上げ屋根の民家群がまとまって残っていることが分かる。 |
2004年 | 財団法人ナショナルトラストによる上条集落の観光資源調査。 |
2010年4月 | NPO法人山梨家並保存会により旧中村家を茅葺屋根に修復再生。再生後「甲州民家情報館」として活用。 |
2015年5月27日 | 上条集落が全国で110番目、山梨県では赤沢集落に引き続き2番目の重要伝統的建造物群保存地区に選定される。 |
2017年5月-10月 | 情報館を体験宿泊施設にするための改修工事。 |
2017年10月 | 農泊施設「もしもしの家」としてリニューアルオープン。 |
甲州市が発行している「上条報告」バックナンバー
甲州市教育委員会文化財課では、2009年以来、毎月「上条報告」として、塩山下小田原上条地区と共同して定期的な情報発信をしています。伝建指定に至るまでの、甲州民家情報館の設立、先進事例の見学、「上条らしさ」とは何か?など、地域の価値を再発見していくプロセスや、指定後の修景作業、訪れる人との体験活動の様子などがよく分かります。